わかりあえないのか?

過激派シー・シェパード、豪でも反感高まる(読売新聞) - Yahoo!ニュース 過激派シー・シェパード、豪でも反感高まる(読売新聞) - Yahoo!ニュース
 えー、長くなるので隠しときます。読みたい方は続きからどうぞ。


 日豪の関係は比較的な友好な方だと勝手に思っているのですが、唯一相容れない問題だなと思うのがこの捕鯨問題です。
 確かに問題にはなっているけど、実際オーストラリアの国民はここまでして捕鯨止めたいの? というのを知りたかったので、この記事は大いに意義のあるものだと思います。これで少しはシー・シェパードが過激な行動を控えてくれるといいのですが。もっとも、オーストラリアは捕鯨そのものには反対ですから根本的な解決にはなっていませんが。
 以前政治に関するテレビ番組で、この問題を日本人の方とオーストラリアの方が議論していましたが話は平行線のままでした。日本は昔から鯨を食べる食文化があり、更に日本が行っている捕鯨はその個体数を調べるための調査捕鯨で、それは国際的に認められていると主張する日本、対してオーストラリアはいわゆる「クジラ知的生物論」で鯨がかわいそうだと主張するといった感じでした。
 国際的に認められているからやっていいんだというのもどうかと思いますが、高度な知的生命体である鯨を食べるなんて残酷なことがどうしてできるのかというのもどうかと思います。それを認めると、「じゃあ知能が低いのは食べて良いの? なぜ知能が高いと食べちゃいけないの?」という不毛な議論になると思います。大体、今だってヒトは様々な生物を殺し、食し生きているのに今更そんな事を言うの? と思わざるをえません。

 まぁ、この問題の一番の根っこにあるのは「鯨を食べる文化」と「鯨を食べない文化」の文化の違いなのだと思いますが。昔はやみねかおる氏の小説でもありましたけど、鯨を食べない人たちにとっては、食べる人たちが不気味に思えるのでしょう。それはどう頑張っても不可避なことです。僕だってエスカルゴを食べる気にはなりませんし、よくそんなのを食えるなと思います。もっとも、だからといって他人に対しエスカルゴなんて食うなと言うつもりはさらさらありません。食べたければどうぞご自由に。でも僕は食べないよというだけです。
 異文化に抵抗を抱くことと、その考えを他人に押し付けるような行動をすることは別問題です。鯨の保護論者の方も自分達の考えがあって動いていると思うのですが、だからと言って行動が過激になってよいというわけではないのですから。
 というか、いい加減鯨を食べる食文化を少しは理解していただきたいです。一方的な考えの押し付けは、たとえそれが正しいことだとしても相手は反感を抱きますよ。